
野球高校野球報道サイト「高校野球ドットコム」にて、福岡ソフトバンクホークス 柳田 悠岐選手 2015年インタビューが掲載されておりました


ご紹介いたします
【前編】「柳田選手の基礎を作り上げた高校時代」昨年大ブレイクを遂げたのが、福岡ソフトバンクの柳田 悠岐選手だ。初めて規定打席に到達するとリーグ3位の打率(.317)をマーク。守ってはゴールデングラブ賞を受賞し、走っては33盗塁と足でも魅せた。そしてリーグ優勝の立役者にとどまることなく、日本シリーズ(優秀選手賞)と日米野球(MVP)でも大活躍し、その名を全国に知らしめた。
今や“メジャーに最も近い男”とも称される柳田選手ですが、広島商業高時代は体重が68キロしかなく、高校通算本塁打も18本だったそうです。そんな柳田選手がなぜ“アマチュア球界随一の飛ばし屋”として、ドラフトで2位指名されるまでになったのか?このあたりを中心に、じっくりお話をうかがいました。
@パワーとポテンシャルの違いを感じた昨年の日米野球
「ヤナギタ」―。昨年(2014年)の日米野球終了後、来日したメジャーリーガーたちが「侍ジャパンで印象に残った選手は?」と訊かれると、真っ先にこの名前を口にした。第2戦で2本の長打(三塁打、二塁打)を含む3安打を放ち、打点も4と大暴れした福岡ソフトバンクの柳田 悠岐は、第4戦でも3安打の固め打ちを披露。この大会でのMVPを獲得した。
メジャー相手にも引けを取らなかったそのパワーに、周囲は“メジャーでも通用する”と色めき立った。だが柳田は「メジャー選抜軍のプレーを目の当たりにして、自分はパワーもまだまだだし、技術的にも遠く及ばないと思った」という。
「メジャーの選手は体つきからして違うし、ポテンシャルも高い。振る力、送球のスピード、ボディバランス、もう全部ですね。体勢が崩れた状態からもしっかり投げられますし…1つ1つの動きがいちいちスゲエという感じでしたね」
日米野球の経験はこのオフのトレーニングのエネルギー源にもなっている。「動きたい時に動く、気分が乗ったらという感じですけど、もっとパワーとスピードを上げたいとトレーニングをしているところです」
テーマは「体を大きくするのではなく、体を強くすること」
「特に強くしたいのが尻周りと太腿です。上半身に頼り過ぎてしまうと疲れやすいですが、下半身の筋力がつけば、もっと楽に動けるようになるので。それに下を強くすれば、体幹も強くなりますからね。ウエイトでは、腕とか上半身の筋力をアップさせるのではなく、下をガンガンやっています」
柳田がウエイトメニューの中で重視しているのがスクワット。「10回をギリギリできるくらいのウエイト、僕の場合150キロくらいですが、それで1セット10回を3セットくらいやっています」と教えてくれた。そして年明け後は、マシン中心から、走り込みでの下半身強化に移行。ダッシュ系と長距離系を組み合せながら、ひたすら走っている。
A体が大きくなればもっとホームランを打てると考えた
柳田は現在188センチ90キロ。日本人離れした体躯から放たれる打球の飛距離は、日本で一番とも言われる。しかし広島商業高時代の体重は68キロ。通算本塁打も18本と、決して少なくはないが、注目されるほどの本数ではなかった。体が大きくなったのは、高校野球を引退してからだ。
「進路が決まった後の10月から、地元・広島にある『トレーニングクラブ アスリート』というジムに通い出したところ、見る見るうちに体が変わっていったんです」
ところで、なぜジムに行こうと思ったのか?「広島商業高には、練習メニューにウエイトがなかったんです。筋力トレーニングは、昔ながらの腹筋や背筋といった器具を使わない自重トレーニングが中心。器具に触れたこともなかった。その一方で、走り込みの量は半端ではなくて…雪が降れば、雪の上を裸足でランニングしましたし、グラウンドに設置してある砂の走路でも、よく裸足でダッシュしました。とにかく、これでもかというくらい走り込みましたからね。
その上でウエイトをしたら、体が大きくなって、もっと打てそうだなと。体重68キロでもホームランを打てたのだから、筋肉が付いたらもっと楽に打てるのでは?そう考えたんです。筋力トレーニングをすると可動域が狭まるとか、そういうのは念頭になかったですね」
もっともはじめのうちは「目一杯の馬力を使っても、ウエイトが全然持ち上げられなかった」ようで「当時の数値は憶えていませんが、めっちゃしょぼかったのは憶えています」
B「背中」「胸」「足」の3つを日替わりで徹底的に強化
週に4日か5日は通っていたというジムでは、強化する箇所を「背中」「胸」「足」の3つに分け、日替わりで鍛えた。
「たとえば『足の日』だったらスクワットをして、レッグプレスで足の前と後ろをといった流れで、必ず最後に、マシンを使わずに腹筋と背筋をやっていました。トレーニング時間は、どの日も1時間半ほどだったでしょうか」
一番きつかったのは「足の日」だったようで、柳田は「次のセットにいきたくないくらいでした」と明かす。
体を大きくするため、プロテインもまめに摂取した。学校にもシェーカーを持ち込み、授業の合間に飲んでいたそうだが、プロテインとともに欠かさなかったのが茹で卵だ。
「トレーニングが終わると、母親に電話して卵を5つ茹でてもらいましてね。帰宅すると一気に全部食べていました。僕のしょうもない知識の中に、茹で卵がいいというのがあったんですよ」
ジムでは金本 知憲氏(元阪神)がトレーニングに励む姿も目にした。柳田が通い始めた06年当時、金本氏はまだバリバリの現役だった。
「僕は今も、ウエイトでは足の次に背中を大切にしているんですが、これは金本さんの影響です。金本さんの本の中に、一番大事なのは足で、次は背中だと書かれてありましてね。たとえば、スクワットのトレーニングでバーベルをかつぐ際も、背中の筋力がポイントになると。要は背中を鍛えなければ、ウエイトで追い込んだトレーニングもできないのです」
C部長先生に対する反骨心がモチベーションになった
連日の激しいトレーニングで、体は悲鳴を上げた。ウエイトで追い込んだ翌日は「学校に行くのもきつかったですし、(通学用の)チャリ(自転車)を漕ぐのもきつかった」という。それでも柳田はジム通いを続け、自分と向き合いながら、孤独なトレーニングに励んだ。
モチベーションになったのは何だったのか?
「これはもう、広島商業高時代の部長先生に対する意地ですね。僕は進学先を広島六大学リーグの広島経済大に決めていました。ここなら練習もそんなにきつくなさそうだし(笑)、全国大会に出場できる可能性が高いと思いましてね。
ところがこれに待ったをかけたのが部長先生でして。『東京の東都リーグでやれ。(自主性を重んじる)広島経済大ではお前はダメになる』とさんざん言われたんです(苦笑)。校内放送で呼び出しされ、説得されたこともありました(笑)。ならばその部長先生を見返してやろうと、この一心でしたね」
広島経済大で1年秋からレギュラーとなった柳田は、広島六大学リーグで首位打者を4度獲得。“見返したい思い”は、2位指名という高い評価でのプロ入りにもつながった。ちなみにその部長先生とは、プロ入りが決まった後に再会している。
「お会いした時、この話を正直に伝えたんです。そしたら『お前すごいな。よかったな』と祝福してくれまして…高校時代の思いは一気に吹き飛びましたし、ありがたいなと。あの厳しい言葉がなかったら、僕は頑張り切れなかったかもしれません」
もう1つモチベーションになったのが、体の変化だった。ウエイトトレーニングを全くしていなかった体は、日に日に筋肉が付いていった。
「筋肉付けるのは簡単やなと思うくらい、トレーニングの成果が目に見えて分かるんです。それが楽しみで、頑張れたところもありましたね」
野球のパフォーマンスに直結するかどうか、という不安も一切なかったという。そこには「筋力トレーニング以外のトレーニングは、高校時代にやり切った」という自負があった。柳田は、「もしそれがなかったら、高校野球を引退してからも、グラウンドで後輩に交じって野球の練習をしていたと思います」と振り返った。
柳田選手の背景として、大学時代のことが語られることが多いですが、高校時代にこんな知られざるエピソードがあったと驚かされるファンの方も多いのではないでしょうか。徹底したウエイトトレーニングを取り組んだ柳田選手が下半身強化が大事と語るからこそ、説得力のあるエピソードであります。【後編】 「目指すはトリプルスリー!」前編では、柳田選手の知られぜる高校時代の取り組みについて振り返りましたが、後編では、ウエイトトレーニングの取り組み、またプロ入り後の取り組み、最終目標を存分に語っていただきました。
D走り込みで下ができていたからウエイトトレーニングが生きた
大学に入学した頃、体重は82キロになっていた。約半年間で14キロも増えたことになる。ただウエイトトレーニングを始めた当時より、体脂肪率は落ちていた。簡単に言えば約14キロ分、筋力が増えたのだ。
「これだけ大きく変わったのは、体の成長期とうまくタイミングが合ったからかもしれません」
ウエイトトレーニングがパフォーマンスに直結していると初めて感じたのは、大学での初練習の時だった。
「フリー打撃で先輩に続いて、新1年生の僕らが打たせてもらったんです。僕は初めて木製バットを手にしたのですが、木のバットで打つ練習を積んできた同級生があまり打てない中、僕は普通に打ったら、めっちゃ飛びましてね。余裕でサク越えを打てたんですよ。先輩たちよりも打てましたね。金属よりも木の方が飛ぶんだなと思いました」
高校時代にウエイトで体を作った選手の中には、金属バットでは打てたのに、木製の対応に苦しむ選手が少なくない。柳田はなぜ、いとも簡単にこのハードルを乗り越えられたのか?
「上半身の筋肉だけガンガン鍛えていたら、こうはならなかったでしょうね。それではダメなんです。腕の筋肉は飛距離に比例しないと僕は思いますね。
あの頃そういう知識はなかったんですが、すぐに木のバットで打てたのは、『足』と『背中』に重きを置きながら『胸』もと、3つをバランス良く鍛えたからだと思います。それと高校時代に、しゃにむに走り込んだからでしょうね。実は高校野球を終えてから大学に入るまでは、ほとんど走り込みはしなかったんですよ。それでも“貯金”があるくらい走ったのがベースにあったから、下が作られていたから、ウエイトトレーニングが生きたんだと思います」
E今年はホームランを打つ確実性を身に付けたい
アマチュア球界随一の「飛ばし屋」としてプロの門を叩いた柳田も、1年目はプロの厳しい洗礼を受けた。ウエスタン・リーグではいきなり本塁打王になるも、1軍での出場は6試合にとどまった。
「プロ(1軍)はスゴイです。大学の時は全部打ちにいっても打てる感じなんですが、プロは同じようにいったら絶対打てないですから。球は速いし、キレはあるし、コントロールもいい。変化球も大学とはレベルが違う。大学生の感覚のままでプレーしていたら、まるで通用しませんでした。今振り返ると(なんで打てないんやろか)程度の気持ちだったから、ダメだったんだと思いますね」
この1年目のオフにプエルトリコのウィンターリーグに派遣され、「そこで22試合に出場と、得難い経験ができたのも(飛躍の)足掛かりになった」が、大きかったのは、「2年目の途中から秋山 幸二前監督が1軍で68試合に起用してくれて、場数を踏めたこと」だという。
「1軍での試合経験を重ねるうちに、どんなボールが来るかイメージできるようになったんです。バッティングはああせえ、こうせえと言われて、その通りにやっても打てるようにはなりません。打席に立ってみないと分からない部分もありますからね。僕の場合、経験させてもらって打てるようになった感じでしょうか」
失敗も失敗で終わらせず、次への糧とした。「まずは失敗しないとわからない。大事なのは失敗してから」と捉え、「打てなかった時も必ずその映像をチェックし、いろいろな練習をしながら、自分のイメージとのズレを修正したんです」
昨年の大ブレイクはこうした積み重ねの結果なのだろう。
F最終的な目標はトリプルスリー(3割、30本、30盗塁)
迎える15年のシーズン、ファンの柳田への期待はますます膨らむ。02年の松井 稼頭央選手(当時西武。現東北楽天。2013年インタビュー)以来となるトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)の達成も心待ちにされている。折しも今年から、チームのホームである広いヤフオクドーム(の左中間と右中間部分に)にラッキーゾーンが設置される。これにより、昨年15本だったホームラン数の大幅増の可能性もより高くなろう。
こうした周囲からの期待を「ひしひと感じている」という柳田は、「僕はスクワットだと150キロくらいで、ベンチでは100キロ程度。そもそもそんなにパワーはないんですよ。それにプロはすぐにホームランが増えるほど、甘い世界ではありません」と前置きしつつ、こう話してくれた。
「ですが、今年はホームランを打つ確実性を身に付けられればと。ホームランを打つ打ち方で、どれだけ確率を上げられるかですね。昨年もホームランを狙ったことはありましたが、今のままでホームランを狙うと空振りで終わるか、打ち損じた時はポップフライになってしまうので。たとえば打球の角度をつけるためにロングティーをするなど、いろんなことを試しながら、パワーの全てを1点に集約できる打ち方を模索しているところです」
最後に「苦しかった広島商業高時代が僕の原点」と言う柳田から、オフのトレーニングに励む高校球児に熱いエールをいただいた。
「苦しいトレーニングも乗り越えられれば、必ず前に進みます。そのためにも目標を持つことが必要で、それが乗り越えるためのモチベーションになるし、大きな力になる。一緒に乗り越えた仲間との友情も大切にしてほしいですね。今も高校時代の同期の連中とは年に1度は集まるんですが、思い出話が尽きません。今は苦しいと思いますが、後々必ず、頑張って良かったなと思うはずです」
柳田選手へのインタビューを行ったのは、プロ選手にとっては一大行事である契約更改の直前。そんな最中でも時間を気にすることなく、高校時代を振り返ってくれました。スター選手になっても自分を飾らない。そんな姿も印象的でした。柳田選手、ありがとうございました。ファン同様、今年のさらなる活躍を楽しみにしています。