【07-05】OB便り(社会人野球)

野球パナソニックHP「パナソニック スポーツ」にて、山本 隆之選手(96期)がピックアップフェイスとしてインタビューが掲載されておりました野球
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2007年末、大阪府野球連盟より、その年もっとも活躍した選手や監督、
チームに贈られる堂西賞を受賞した山本隆之投手。
分業制が進む野球界にあって、公式戦で5完投勝利をあげたことが評価された。
日本一となった2005年の日本選手権ではMVPを受賞。
押しも押されもせぬチームの大黒柱だ。

山本氏96期@  山本氏96期A

名門野球部に付けた泥は、自分が野球で拭い去るしかない!
山本の野球人生は、夏の甲子園で全国最多、6度の優勝を誇る名門・広島商業からはじまったと言えるだろう。
「中学時代の野球に物足りなさを感じていたので、高校は名門に進もうと決めていました。私学だと親に負担をかけますから、県立の広商を選んだのです。今になって考えると、卒業後、法政大学に進学できたのも、松下電器の野球部に入部できたのも、広商の3年間があるお蔭なんですよ」
山本が入部した当時の監督は、現在、法政大学野球部の監督を務める金光興二さん。現役時代は広商、法政、三菱重工広島と、いずれも中心選手として日本一に貢献した、アマチュア最高峰のプレーヤーだ。
「監督さんはもちろん、OBも強い時代の広商の錚錚たるメンバーで、そういう人たちに一から野球を教えていただいたことが、僕の野球人としてのベースになりました。とにかく高校時代は年中無休で、土日は終日、野球ばかりしていました。当時は純粋でしたから、どの学校もこれくらいの練習はしているのだと、信じて疑わなかったですね(笑)」
だが、そんな猛練習をしたにも関わらず、山本たちの代は一度も甲子園の土を踏むことができなかった。
「僕個人としては、広商のエースになったことで満足してしまっていたのかも知れません。オーバーではなく、僕らは3年間、母校の看板に泥を塗ってしまいました。その泥は、自分が野球を続けていく中で拭うしかないと思っています」

神宮で通算0勝4敗、声をかけてくれたのは松下電器
法大では、1回生の秋からベンチ入りを果たした。当時の監督は、選手の自主性に任せる方針で、練習時間は午後の2時間半ほど。広商に比べると、拍子抜けするほど楽な練習だった。
「それでも在学中に3回優勝したのですが、ぼくは神宮球場では通算0勝4敗。まったく戦力になれませんでした。今日は良くても明日はダメという具合に、ピッチングにムラがあったのです。とくに4回生のときは、野球人生ではじめて下の学年の選手にエースの座を奪われ、情けなく思いましたね」
冷静に考えて、神宮で1勝もできない選手が、社会人野球に進めるものだろうか。ましてや、活躍できるとは到底思われない。それでも、山本は松下電器の野球部に入部し日本一に貢献する。
「僕が大学3回生のとき、当時の松下電器の監督さんが、神宮にゲームを見にいらっしゃったのです。僕のピッチングを見て、どこかはわかりませんが気に入ってくださり、当時法政の監督だった山中さんに連絡されたようです。僕には拒否権なんてありませんから、薦められるまま松下電器でお世話になることになりました」
当時の松下電器の監督の慧眼には、驚くばかりだ。

5試合あるうちの4試合は自分が勝つつもりで投げる
松下電器では、ルーキーイヤーにいきなり、都市対抗の準決勝で先発を任される。
「さすがに新人で東京ドームは無理だろうと思っていたら、先発で使ってもらい、多くのことを学びましたね。そのゲームは、6回まで0対0でした。7回の表に味方が1点取った時点で『勝った!』と思ったのです。ところが、7回裏に先頭打者から2者連続フォアボールを与えてしまい降板。結局、代わったピッチャーが2点タイムリーを打たれて負けてしまったのです。僕の『心のスキ』が命取りになったゲームでした」
この試合以降、山本は強い気持ちでマウンドに登るようになる。そして3年後の2005年、ついに日本選手権で雪辱を果たすのだ。

「当時のチームは、先発、中継ぎ、抑えという分業制が確立されていて、僕はふた回り、つまり6回まで抑えれば良かったのです。後は小刻みな継投で、相手打線に的を絞らせませんでした。攻撃陣も1番が出塁して、2番がバントで送り、3番と4番で返すという具合に、それぞれがうまく機能していましたね」
日本一を達成し、何が変わったのだろう。
「僕はそれまで『努力がすべて』と思っていたのですが、『優勝して初めて、努力が評価される』ことを知りましたね。スポーツの世界では、努力は当り前なんです。みんな血のにじむような努力をしています。勝利の栄冠を手にした者だけが、その努力を評価される。勝負ごとは、勝たなければ意味がないのです」
投手陣にあって28歳の山本は、最年長である。彼は圧倒的な実力で、仲間を牽引している。
「入社2年目までは、都市対抗にしろ、日本選手権にしろ、先輩たちに連れて行ってもらうという感じでした。ここ2年ほどは、予選も全部投げたりして、『自分が本戦に連れてきた』という自負を持っています。現在のチーム状態では完投を期待されているため、正直キツイ面もありますが、空調の完備したドーム球場でのゲームが多いため、助かっています(笑)」
posted by クラブOB会 at 2007年12月01日 12:00 | Comment(0) | OB便り
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